盆前の8月9日ヤンガーと社長を付き添わせてわたしは生まれてはじめて職業安定所(ハローワーク)に仕事を探しに行った。(ほんとうは2度目。『純』のシナリオは東映の助監督を辞めたあと失業保険をもらいながら書いた。そのとき何度か職安には行っている)
わたしは東映の助監督のとき将来食いっぱぐれないためタクシーの運転手をいつでもやれるよう普通免許の第2種をとっていた。ヤンガーが「監督は運転手をやっても乗客とすぐに喧嘩するだろうからタクシーはやめておけ」と言う。 それ以外に56歳で仕事などあるのかと思っていたらあった。「運転手」で検索したら寝たきり(かそれに近い)の人むけの歯医者さんの往診の手伝い。わたしはむかし両親の往診の運転手を自分からすすんでやっていた。それに近い仕事のようなのでわたしのような者にも勤まるのではないか? 面接をうけたら採用された。きのうから見習いを始めたというわけである。 わたしはもう1本映画を撮りたいと思っている。最後の1本を撮って「あれほど自由奔放に生きて死んでいった監督はめずらしい」ということで後世に名前を残したい。(スタンダールの墓には「生きた、書いた、愛した」(順番が不確か)と刻んであるらしいではないか)巨匠などになれるはずもないので「珍しい監督がいた」くらいは言われたい。それ以上にこの世の中で何ものにもとらわれず自由に生きる人間の見本になりたいのかも知れない。 そのためには生きつづけなければならない。 胃を三分の二切ったあとの体力がどのくらい回復しているか正直まだ自信がないが「もう来なくていい」と言われてクビになるまでは続けるつもりだ。
by hiroto_yokoyama
| 2004-08-19 07:46
| 独言
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