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わたしのようなガキが「大人になることの難しさ」を思うと

 「あっちを見てもこっちを見ても、ガキみたいな大人が増えた」となだいなだ氏が言っています。(「ちくま」(2004№400)7月号2ページ「大人になることの難しさ」)
 なだいなだ氏はわたしが高校生のときたしか芥川賞の候補になったりなさった作家でもあり精神科のお医者さんでもある著名人です。さいきんは
「老人党」というウエブサイトを立ち上げられてご活躍中の方です。
 話を「大人になることの難しさ」に戻します。(なだ氏が)ある四十歳くらいのジャーナリストと話していたら(その彼が)「なぜ人間は人格的に成熟しなければいけないのですか」と尋ねたらしい。なだ氏はガキみたいな大人が増えたのは「……自由社会は、だんだんと規制の社会になり、規制に頼っているうちに、人間が自立し大人になる努力を忘れていった……」からだとおっしゃっている。まさしく正論です。
 では、どうしたらいいのか? ガキたちはどうすべきかは、なだ氏はおっしゃらない。氏の「大人になることの難しさ」は分析だけで終わっている。それはきっとなだ氏ご自身がご自分を立派な大人であると認識なさっているからなのだろう。わたしなどは自分のことを「どうしようもないガキだ」と日々忸怩(じくじ)たる思いで生きているのでなだ氏が分析なさった地点で立ち止まったまま足踏みを続ける訳にはいかないのです。
 ブログを見ると「たぶんサゲマン女のあんがい平凡なじんせい」にでてくる「妻子のある50代後半の男性」とか「三十路のため息」にでてくる「部下をねぎらういい部長」などガキみたいなおやじがたしかにものすごい勢いで増えているようにわたしにもみえる。わたしもガキだが上に書いた「妻子ある男性」や「部長」などどうしようもない人たちに比べると「人品骨柄」の点で彼らには申し訳ないがわたしの方がはるかにまさっているように思えてしかたがない。わたしは何も自慢したいわけではない。目くそ鼻くそを笑うという次元のことととってもらっては困る。
 妻子もちや部長などとわたしがどこの点で違っているのかを言えばそれは彼らがたぶん社会の陽の当たる場所を「規制に頼って」小利口にたくみに生きてきたのに対しわたしは自分の好き嫌いだけでものごとをほとんど判断してわがまま勝手に生きてきたことの差によるのではないだろうか。わたしは相手との間合いを計るとき「損得」で計らない。男に対しても女に対しても「好き嫌い」が尺度だ。極端に言えばこの人が突然死んだらわたしは内心手をたたいて喜ぶだろうな(ぶっ殺してやりたい人を自らの手で刺せば自分が損をするという計算はわたしは誰よりも早い。動物的なのだ)とか、わたしはあの人の葬式にはどんな用事があってもきっと参列するに違いないなどとバスを降りたりしたときなどにときどき思う。彼らがわたしと同じガキでありながら決定的に違うのはこの点においてではないだろうか。
 わたしはどうしようもないガキであるだけに社会に対してとる態度を局面局面により動物的にくるくる替えてきた。協調性などまるでないのだ。規制に振りまわされて生きてきた協調性のある人たちがさきに斃れるか、こちらがさきか、どうせわたしの方が死ぬのはさきだろうが、ガキを世の中から駆逐するにはまずは「女性の社会的自立」を願うのが1番早道ではないかと考えている。
by hiroto_yokoyama | 2004-09-04 08:16 | 独言
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