昨晩『幼年』を読んだ。図書館から大活字本シリーズというのを借りた。老眼鏡をかけないで読めるかと思ったがやはりかけた方が活字をひろいやすい。この本を読んで知ったことは大岡さんが『幼年』を書いたのは62、3歳のころ。つまりいまのわたしと同じ年くらいだったということ。
著者は言う。 ……大正年間に東京郊外で育った一人の少年が何を感じ、何を思ったかを書いて行けば、その間の渋谷の変遷が現れてくるはずである。「私は」「私の」と自己を主張するのは、元来私の趣味にない。渋谷という環境に埋没させつつ、自己を語るのが目的である。 わたしには内面をみるといつも「俺が、俺が」というところがある。これは恥ずべき事という自覚があるのでそれを隠そうとする。大岡氏が「元来私の趣味にない」と言いつつ 「自己を語るのが目的である」と語るのと似ているのかどうか。 巻末の解説で奥野健男が書いている。 ……六十歳を超えた今日、本格的にもう一度、自分とは一体何なのかと与う限り明晰に検討し、その先にある不思議な欠落や夢魔の実態を体験し、表現しようとする。 わたしは大岡昇平のどういうところが好きなのか。何点かあげてみる。氏の晩年に『成城だより』というエッセイがある。雑誌「文学界」か何かに連載していた。わたしは毎回ではないがリアルタイムで読んでいた。 大岡さんが昼飯時にそば屋にはいった。席はあいている。それなのに店員がさしでがましくも「おきゃくさん、ソコ! 」と指さした。氏はむっとして黙って店をすぐに出たらしい。わたしもときどきそういう経験をする。いまでもしゃくに障ると知らん顔して店を出る。 おなじく『成城だより』のなかであの大江健三郎を田舎者の馬鹿扱いするところは読んでいて痛快だった。 ある本には亡くなった江藤淳をもちろん彼の生前だが氏はある人に「江藤はクセの悪いところがある。気をつけるように」と忠告したことがあるということが書いてあった。江藤淳の本を襟を正して読んだりするのはもうやめようとわたしは思った。わたしは大岡昇平の言うことなら何でも信用する。 いつだったか文化勲章かなにか賞を与えようとされたとき「俘虜記」や「レイテ戦記」(共にわたしは未読)など戦争のことを書いて国から賞など貰う筋合いはない、と拒否なさった。新聞でインタビュー記事を見てわたしは「偉い人だなぁ」と感心した。気骨があるとはこういうことなのだろうなぁといまでも思う。 わたしはいま自分の人生を振り返り何か書き残すことはないかと考えると性に関することしかないように思える。性について語るのははばかられる。恥ずかしい。しかし大岡昇平の『幼年』を読むと照れてばかりはいられない。大まじめに口にできないことをこっそりと鉛筆をなめなめ書いてみようと励まされるのである。
by hiroto_yokoyama
| 2010-02-14 05:58
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