7月23日だったと思う。暑い中を横浜・黄金町まで、あとでけったくそ悪い思いをさせられた女が撮ったビデオを見に行った。以来80日近い間があいたが、久しぶりに映像を見た。
DVDのパッケージに[注]として興味深いことが記してある。まんま引用する。 このドラマは松本清張の短編小説「氷雨」(昭和33年)とは異なるオリジナル脚本との説もあります。脚本共作者・西川清之氏も既に他界しているため、現在では解明する術がありません。ご了承ください。 たしかに同名の短編とは登場人物の名前くらいは同じ(未確認)かも知れないが内容はまったく異なる。前半は夫の西村晃が自殺するまで後半は淡島千景の未亡人が夫の復讐をとげるまで、という具合で面白い構成になっている。 この作品は昭和34年(1959年)にNHKでオンエアされているようだが、丁寧に撮られているためもあって当時を知るものにはノスタルジーを感じさせる。清張ファンならずとも一見にあたいする。 #
by hiroto_yokoyama
| 2010-10-09 17:35
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家族と話し合って7月から浦和駅の近くに部屋を借りた。春先にうつ病の薬を減らした反動だろうか、夏は寝たきり老人のようだった。8月末妻の母が亡くなったりなどしてわたしの生活環境は激変した。
きょうやっと本棚を運び込み死ぬまでに必ず読んでしまいたい本だけを置くというルールを作り、自伝、シナリオ、短編小説の執筆に明け暮れようと考えている。その合間にブログを書く。ついでに1度やめたツイッターも再開することにした。 わたしの拙い文に今後もおつきあいいただければ幸甚です。 #
by hiroto_yokoyama
| 2010-09-21 20:56
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作者・田宮虎彦の名前は『絵本』『足摺岬』などで知っていた。知っているだけで作品を読んだことはなかった。この『寛永主従記』を図書館から借りたときから読み惜しみをしながら読み進めた。興味深くて急いで読み終わるのがもったいない気がしたのだ。
巻末の萩原得司氏の「解題」からいくつか引用させていただく。まず評言。 河上徹太郎氏の「玄人の純真さ」、三島由紀夫氏の「小説家としての持ち前を持って居ながら詩人の心を持っている人」、滝井孝作氏の「これらの歴史小説には性根のある人物が出てくるので私は好きです」、大岡昇平氏は「歴史文学論」で、状況設定・人物心理の「造型に殆ど完全に成功している」と述べ、城山三郎氏は「人生に真正面から取組もうとする誠実さを押し貫いた末に、広々とした歴史の世界の中に、その鮮かな花を咲かせた」と森鷗外氏以来の硬質の歴史小説のよみがえりを見ている。 田宮虎彦自身の言葉2つを引用。 歴史小説を書くものは、歴史の中の人物が行為したところとしてかならず封建思想、封建制度、封建道徳と対決せねばならぬ。それを作品の世界でどのように解決するかが、作品を決定する重大な要素になることも、もちろん、いうまでもない。しかも、作家が生きている現実をふんまえて、それがなされねばならぬのである。 もうひとつ。 私は、人間の幸福をまもりぬきたいと思ふ。すべての人間の幸福をである。限られたごく少数の人の幸福のために、多数の人々の幸福をうばはうとする人があつたら私は、自分の幸福を賭してもたゝかひたいと思ふ。 今の政治屋どもの多くについて言っているようにわたしには聞こえて仕方がない。 #
by hiroto_yokoyama
| 2010-07-07 08:45
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この映画は、わたしの記憶に間違いがなければだが、初め深作欣二監督がお撮りになるはずだった。深作監督は自分の企画のことはほとんど話されなかった。かりにご存命であってもご本人から経緯を聞けたとは思えない。
北野監督『アウトレイジ』を見たいと思った。「そりゃ順番がちがう。やはり、『その男…』を見てからではないか」と思い直した。この映画にはわたしの映画にかかわったスタッフが2人ついている。チーフ助監督とカメラマンだ。2人とも現在、行き来があるわけではないので多くを語る気はない。少しだけ言えば、北野監督はたいへん義理堅い人らしく、助監督に1本監督させた。わたしは新聞発表でそれを知ったときビートたけしは偉い奴だとおもった。もうひとつ。カメラマンにはこの作品以後も何本も撮らせた。これにも驚いた。初監督するときに最も世話になるのがカメラマンとチーフ助監督(もちろん全スタッフのバックアップあってのデビュー作だが)。カメラマンを辛抱強く使い続けたのには驚愕した。我慢強い人なのだ。わたしに比べて(比較すること自体が北野監督に失礼だが)苦労の仕方が違うのだ。わたしは温室育ちのもやしだ。ビートたけしは、わたしが尊敬する数少ない映画人のひとりだ。なるべくはやく『アウトレイジ』を見に行こうとおもう。 最後に北野監督が先週だかテレビのインタビューで『その男、凶暴につき』に触れていた。「(はじめて監督した映画なので)カットじりが甘かったりして恥ずかしい」と言っていた。これは監督のせいではない。カメラマンの技量だ。プロが見たら誰でも分かる。北野武監督もさすがに何本目かにカメラマンを他の人に変えたことに気づいた映画ファンはあまりいないのではないだろうか。(カメラマン交代が遅きに失したとわたしは断言する) #
by hiroto_yokoyama
| 2010-07-03 09:29
| 映画
わたしがこの本の存在を知ったのは20年以上前だ。当時、日本映画学校の講師をしていた関係で留学生・李君に誘われて韓国を旅行した。李君に韓国で最大の映画会社(名前は忘れた)の会長という人を紹介された。その人から持ち出されたのが日本で刊行されたばかりの『閔妃暗殺』だった。閔妃(ミンビ)というのは「朝鮮王朝末期の国母」。日韓併合以前、「日本政府関係者らによって殺害された」。暗殺された翌日のニューヨークタイムズは1面でこの事件を扱っている(マイクロフィルムで確認済み)。わたしは映画会社の会長に閔妃が殺された場所に連れて行かれた。わたしは日本人として手を合わせるしかなかった。会長は「日本の方はみなさん、そう(合掌)なさいますよ」と微笑を浮かべながら言った。「どうです? あなたが監督して映画にしませんか!」
この会長は実行力のある方で、すぐ東映にかけあったらしい(伝聞。わたしが自ら動いたわけではない)。結果は「けんもほろろ」。その後、今村昌平監督のもとに打診があったと脚本家の某氏から聞いた。 わたしは力もないくせに未だにこの『閔妃暗殺』の映画化に未練がある。ただ、どこから手をつけていいのか皆目見当がつかない。 ワールドカップで愚かな日本のサポーターがカメルーン戦に1勝したくらいで喜んでいる姿を見て、彼らのうち何人が閔妃暗殺の事実を知っているだろうかとわたしは密かに切歯扼腕している。日本対韓国戦まで行くか行かないかをわたしは知らない。しかし仮に韓国と戦うことになっても苦戦することは間違いない。なぜなら韓国も北朝鮮も朝鮮半島に住む人々は「国母が日本人に殺された」という事実は皆知っている。知らないのは暢気な日本選手とそのサポーターばかりなのだ。これでは勝負にならない。日本のマスゴミは、なぜ、韓国が、北朝鮮が日本に対してかくまでコンペティティブになるのかの訳を報じようとしないのか。不勉強だからだろうか。それとも知っていても恐ろしくて頬被りをしてしまうのだろうか。謎である。 #
by hiroto_yokoyama
| 2010-06-16 05:59
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